当店のコンセプト:
|
Owned and operated by the American Jazz organist EDDIE LANDSBERG!!!主な業績について
ー これまでに国際的に3枚のCDを発表し、4枚目のリリースに向けて取り組んでいます。 ー デビューCDはアメリカ各地のローカルマーケットにおいてトップ10に入り、200を越えるラジオ局で放送され、ナショナルジャズチャートの31位を記録しました。 ー Nord Electro 用のデモ曲としての採用。 ー 「7 Secrets of Jazz and Soul Method(ジャズとソウルの演奏方法における7つの秘密)」の執筆。 ー 世界3大陸において演奏ステージや教室を組織し、指導者として世界各地からの生徒にジャズやゴスペルを教えてきました。 ー Jポップバンド「SPECIAL OTHERS」への作詞提供など、幅広いスタジオ、商業音楽活動。 ー 日本においてはエディーズラウンジ/エディ ーズラウンジミュージックサークルの経営を行い、最盛期には全国から何百人もの参加メンバーを集めていました。 ー 楽器の歴史や逸話についてのリサーチ、ドキュメンタリー番組制作協力(TV Norge, TESC, JOFなど) ー ハードバップ、ソウル、モダンジャズなどのシャウト系のジャズジャンルへの展開 私は、10月2日米国フィラデルフィアに生まれ、現在は東京に拠点を置くジャズ・オルガン/ピアノ奏者です。ジャズをこよなく愛し、 自ら演奏するばかりでなく、その教育にも力を注ぎ、世界中でクリニックを開いたり、 東京にライブバー『エディーズ・ラウンジ』開いたりとジャズオルガンへのアプローチを幅広く行ってきました。これまでに確かな信頼できるスイングの演奏者として、一流のエンターテイナーとして、また革新的なジャズの教育者として、あるいはジャズ界の伝説的作品をうまく選んで非常に楽しめるCDのプロデューサーや共同制作者としての地位を確立してきました。 最初にジャズを聞き始めたのは12歳のころ、 地元で24時間放送を行うジャズのラジオ局を偶然見つけたときでした。ジェームズ・ブラウンの音楽を聴いてまもなく、R&Bに興味を持つようになりました。 高校では、フィリー・インターナショナル・スタジオ(PHILLY INTERNATIONAL studios)の近くにある学校に通い、フィリー・ソウルの伝説的ソングライター兼ミュージシャンである2人、マクファーデン&ホワイトヘッド(McFADDEN and WHITEHEAD) の子供たちとクラスメートでしたので、ルー・ロウルズ(Lou Rawls)やテンプテーションズ(Temptations)のメンバーたち、 ハロルド・メルヴィン&ブルー・ノーツ(Harold Melvin and the Blue Notes)などの多くのスターが、有名なプロデューサー、 ケニー・ギャンブル (Kenny Gamble)やレオン・ハフ(Leon Huff)に会いに行く途中に学校を通りかかるのを見て刺激を受け、絶対にミュージシャンかプロデューサーになりたいと考える自分に気づいていました。 私はSettlement Music School(音楽学校)とGoddard College(大学)に通いました。Goddard Collegeでは、シリンガー・メソッドを取り入れてジャズを教える先進的な方法を研究しました。 その後初めて日本でホームステイしました。 最初に来日したとき、伝説の日本人DJ福田一郎さんを教えました。彼は私に日本でのポピュラー音楽や洋楽に関して多くのことを教えてくれました。結果として、日本の音楽にも大変興味を持つようになりました。 初めてレッスンを受けたのはオルガン奏者シャーリー・スコット(Shirley Scott)からです。その後、同じような志を持ち、私と気の合う人物である有名なジャズ DJピート・ファリコ(Pete Fallico)に、ジャズの伝説的人物ビッグ・ジョン・パットン(Big John Patton)を紹介され、彼に師事しました。彼からジャズ・オルガンの極意を学び始めました。またフレディ・ローチ(Freddie Roach)やワイルド・ビル・デイビス(Wild Bill Davis)などのオルガン奏者にも大きく影響を受けました。 イリノイ・ジャケー(Illinois Jacquet)のビッグバンドのアレンジャーであるアート・ダニエルス(Art Daniels)というサックス・プレーヤーが、彼の生徒から私の演奏について聞き、ヴォーカル兼ティンバレス奏者のドッティ・スミス(Dottie Smith)を紹介してくれました。 最初のプロとしての経験は、こ のドッティ・スミス と一緒でした。彼女は以前、ジャンプR&Bの伝説的人物ルイ・ジョーダン(Louis Jordan)や ワイノニー・ハリス(Wynonie Harris)のロード・マネージャーをしていました。 ジョージ・ベンソン(George Benson)の親友であるセレーノ・クラーク(Seleno Clarke)の推薦で、フィラデルフィア州で チャールズ・ヤング・ポスト(Charles Young Post)のバンドリーダーに選ばれました。 このポジションは、私の楽器分野に於ける2人の伝説的人物トゥルーディ・ピッツ(TRUDY PITTS)と ジミー・マクグリフ(Jimmy McGriff)も以前にやったことがあります。ホーン演奏者は、 サン・ラー(Sun Ra)やラリー・ヤング(Larry Young )、マッコイ・タイナー(McCoy Tyner)のグループ出身のバイアード・ランカスター(BYARD LANCASTER)でした。マックス・ローチ(Max Roach)やサン・ラーのグループ、またアレサ・フランクリン(Aretha Franklin)のヴォーカル・コーチであるウィラ・ワード(Willa Ward)を含め、 沢山の有名なフィリー・ジャズ(Philly Jazz)のミュージシャンがいました。 LISTEN: Live @Eddie's Lounge I Wish You Love Beautiful Love Studio Recordings: Take It Out In Trade A Tune Simple But Deep Sunny Side of the Street Eddie's Delight In The Land of Oo Blah Dee Y'allz Iz Crazy Eddie on Twitter Eddie's Homepage |